伯陽堂 http://hakuyou.la.coocan.jp/

プロフィール

Philo

Author:Philo
中国思想、仏教、オタク文化などが好きです。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブロとも申請フォーム

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

 陳舜臣氏がなくなったことを父から聞いた。これをきいたとき、僕の胸になんともいえない寂しさがよぎった。思えば陳氏の『秘本三国志』が僕の読書のはじめだった。そのあと吉川英治の『三国志』をよんだが、やはり陳舜臣にいちばん親しみを感じていた。それから色々な方面に進み、いまでは『荘子』を聖典にしていてライトノベルを主食としているが、それでも陳舜臣が心のふるさとであるのには変わりがない。
 僕がよみはじめたとき、もうかなりの高齢だったはずだから、なくなったときいて驚きはしなかったが、一度なんとかして会っておけば、という思いはあった。これは、やはり中国文学者の安能務氏の本を好んでいたとき、氏が故人だときいて生前に会いたかったという思いと同じだろう。
 しかし、そう思ってから、僕はかぶりをふった。僕にとっては読書のはじめで心のふるさとでも、陳氏にとっては数多い読者のひとりにすぎない。そして僕よりもずっと陳氏に思い入れが深く、僕よりもずっと陳氏の本を愛していて、それでも陳氏にあえずじまいの人もいくらでもいるのだ――陳舜臣という人はそれだけの大物作家なのだし。
 ならば未練がましいことは考えるまい。親鸞が「弥陀の本願はひとえに親鸞一人がためなり」といったように、僕は僕一人だけの陳氏を、僕の手もとの本を通じて心の中に大事に保存しておけばいい。ミーハー根性で会いたいなどと言うことこそ、かえって僕の陳氏への思いをけがすことになるのではないか。そう思い、僕は書店の陳舜臣のコーナーへと向かったのだった。
スポンサーサイト

テーマ : 日記 - ジャンル : 日記

自作SRCシナリオを更新いたしました。

綺羅星の時代

『綺羅星の時代』を公開しました。
このシナリオはSRC学園の設定とキャラクターを使用しています。

これは、英雄が英雄として称えられ、
手をとりあって悪に立ち向かう、
そんな時代の一齣の物語である。
楽しんでいただければ幸いです。
バグなどのご連絡は、掲示板やメールなどからお願いします。

テーマ : フリーゲーム - ジャンル : ゲーム

 最近、思うところありまして、少しアダルティーな文章を書きます。今後もこういう文章が増えると思います。といっても、こんな豆粒ブログ、見てる人間は2,3人ぐらいでしょうけれど。そしてその人たちは、僕の言いたいことをわかってくれるのではないかと期待しています。とはいえ、一応18禁注意とだけ言っておきましょう。念のため。

続きを読む »

テーマ : 日記 - ジャンル : 日記

 戦後民主主義とは何か?
 思うにそれは、様々な勢力が一丸となって行った、大和魂の破壊・改悪のシステムではないか。
 学校では生きるために必要な、法律や喧嘩の知識を教えず、偽善と役に立たない知識だけを詰め込む。
 挙句が、大津市の事件のようなザマをさらす。

 「なぜ人を殺してはいけないのですか?」と中学生から問われて、知識人や教師が答えられなかった、という話があった。
 これなども、まさにそうした「人間の当たり前な基礎」が壊れていなければ、起こり得ない問いだと思う。
 「大道廃れて仁義あり」とかつて老子は言った。思えば、2000年前に現代のことを見通していたのではないか。

テーマ : 日記 - ジャンル : 日記

はぐれ勇者の鬼畜美学(エステティカ) 1
 
 作者:上栖綴人
 出版社:ホビージャパン/HJ文庫
 初版:2010.5.1

 異世界で魔王を倒して帰ってきた勇者・鳳沢暁月。自分が倒した魔王から託された娘・美兎とともに、特殊教育機関バベルでの学園生活を始める。ある時は強大な魔力を持つ生徒会長にケンカを挑み、ある時は美少女の下着を奪い取る、破天荒な勇者の物語。

続きを読む »

テーマ : ライトノベル - ジャンル : 本・雑誌

 最近、大津いじめ自殺事件が話題になっている。これを機に、「いじめっ子は何を感じ何を考えているのか」を考えてみようかと思う。
 まず、誰かをいじめる時には、いじめる側は、「重大なことをしている」という認識はまったくない。それがあったら、たぶんいじめはできないだろう。道端の石を蹴飛ばすようにして、悪口を吐きかけ、暴力を振るい、金を奪うのだ。
 彼らはいじめる相手に対して理不尽な怒りと被害意識を持っている。不思議なことに、加害行為をしているのに、彼らに加害意識はなく、むしろ自分たちは、いじめられっ子によって気分を害されるという被害を受けた被害者なのだという意識がある。被害者だという意識があれば、どんな行為にも歯止めがかからなくなる。むしろ、いじめながら「自分は悪い奴をこらしめているのだ」という正義の意識すらあるだろう。ヒーローごっこで、いじめられっ子を悪の怪人に見立てて殴るといういじめも、よくあるパターンだ。
 そして、もしもいじめられっ子が中途半端な反撃をしてくれば、いじめっ子の被害意識はさらに濃厚になる。そして「自分を傷つけた」いじめられっ子に対して、復讐しようとかさにかかっていじめる。このとき、いじめられっ子がいじめっ子と同等の強さを発揮し、「自分に手を出すと痛い目に逢うぞ」と理解させるだけのダメージを与えたならば、たぶんその相手はもう「手を出しても不快感を晴らせないばかりか、不快感の増す相手」と認識され、手出しされなくなると思う。しかし、現実には、それができるいじめられっ子は少ないだろう。
 ここでもう一つポイントなのは、いじめっ子の判断基準は理屈や知性ではなく快不快の動物的な感覚だということだ。
 いじめの果てに相手が死んだとしても、やはり「大変なことをした」という意識はない。これは想像力の欠如のほか、無意識のうちに「自分を加害者だと認めたら、自分に大きなダメージがくるから、絶対に非を認めないよう気をつけている」という精神作用が働いているからではないかとも思う。この精神作用は、いじめっ子のみならず、彼らを放置していた教師や校長、警察などの「偉い人」にも働いているだろう。これが、大津いじめ事件で関係者がことごとく非を認めない理由ではないだろうか。この事件では、「もっとやりたいことがあったのに死んで残念だ」と言ったり、被害者の写真に落書きをしたりといった行為があったようだが、これはいじめられっ子が死んだことすら認識していない、あるいは認識するのを避ける究極の現実逃避なのではないかと思う。
 そして、罪悪感を持つのを無意識に避けているから、いじめられてダメージを受けた側と違い、トラウマを持つこともない。そして無神経なまま大人になり、罪をつぐなうこともなく笑顔で家族とともに暮らしていくことになる。果ては、重大な罪を犯しておきながら「あの頃はやんちゃだったな」と酒の席で笑いながら話す程度で済ましてしまう。これが、いじめっ子という動物の精神の実態なのではないかと想像する。

テーマ : 日記 - ジャンル : 日記

 最近、大津市でいじめ自殺事件があって話題になっている。しかし、人が長い間常軌を逸したレベルのいじめを受けた末にとうとう死んで、やっとこうして話題になるのだ。誰にも知られないいじめは、一体何件あるのだろうか。聞いた話では、いじめられた子は長い間トラウマで苦しんで冴えない人生を送ることになることが多いというが、いじめた子は何のおとがめもなく満たされた人生を送っているという。やりきれない話だ。
 結局、自分の身は自分で守るしかないのだろうか。いっそ、いじめた相手に怪我でもさせてやればと思うが、そういう事例で、いじめられた側は暴力事件を起こしたとして近所から後ろ指をさされ、いじめた側は周りの援助で立ち直ったという話も聞く。世の中は、ほんとうに強い者の味方なのだ。
 そう、弱きを助け強きをくじくような正義の味方など、本当にテレビの中にしかいない。実在しないから、そういうヒーローが喝采を浴びるのではないか。みんなが当たり前にそういうことをしていれば、誰もわざわざヒーローに注目したりはしないだろう。学校でも、「いじめっ子は守られ、いじめられっ子は嫌われる」と教えればいい。しかし、誰もそうしようとはしない。世の中は弱い者の味方だなどという嘘を、先生も偉い人も垂れ流しているのだ。

テーマ : 日記 - ジャンル : 日記

今の世の中は、インターネットをつけると簡単にグロ画像が見れてしまう。しかも誰も、「虫とか死体という言葉で検索をかけるとグロ画像が出る恐れがある」と警告してはくれない。トラウマになっても「自己責任」だ。誰にも教えてもらえないまま、一人前として生きざるをえない。そうでない者は「情弱(情報弱者)」と馬鹿にされてしまう。恐ろしい世の中、地獄のような場所に生きているという自覚が必要なのかも知れない。ネットは便利で楽しい。しかし、とても簡単に恐ろしい目に会うことができてしまう。

テーマ : 日記 - ジャンル : 日記

読書にも緊張感がないと、内容がわからない。緊張感を持って仕事をしていれば、頭はおのずと冴える。休みや眠りは、小さな死だ。

テーマ : 日記 - ジャンル : 日記

 ふと疑問に思い、眠れなくなったことがあった。その疑問とは、「自分にとって最高の名言とは何だろう」ということだ。もともと自分は名言好きで、一言で人生を説明するような言葉を探すところがあった。そういえば以前、そんな言葉を見ていなかったか? とふと思い、夜中に起き出して名言集の本などを開いてみた。しかし答えは見つからない。
 実際、それはどういうきっかけだったのか。ふとそういえば、荘子に「万物斉同」という概念があることを思い出した。万物斉同。この世のものは等しく同じ価値があるという荘子の思想を表す言葉である。そこで、仏教にも戦国武将の名言にも納得のいかなかった理由を見出した。結局僕には、全てのものは等しく尊いのだというこの荘子の考えが最高の答えとしてセットされているのだ。僕の座右の銘といえそうなものも、おそらくこれであろう。
 そうなのだ。この世にはさまざまな美しいものがあれば邪悪なものがあり、おもしろい人間がいれば意地悪な人間もいる。しかし全てのものは、神の視点から見れば同じ価値をもつのだ。ニヒリズムの観点からみれば、ハートマン軍曹よろしく「すべて平等に価値がない」というこの世の否定になるが、荘子はそうではなく、すべては等しく尊いのだという、高らかな肯定の思想である。僕が思うに、これは哲学と宗教の一つの到達点と言ってもいいのではないかと思う。
 もうひとつ、老子のいう「無為自然」もあった。ありのままでよく、さかしらは必要ない。ただ、自然の流れに従えばいい。もちろん浅薄な理解では、とんでもない間違いにつながるだろう。しかし、その危険を踏まえても、なお無為自然という言葉には強い力があると思う。万物斉同と無為自然、この二つの概念があれば、過酷な人生をも笑って生きていけるのではないか。僕はそう思うのだ。
 
 蛇足ながら、この二つの言葉は、論理のまな板においてみれば、たやすく欠点を指摘され、論破される言葉だとも思う。というか、欠点のない思想など存在しないだろう。だから万人に通用する思想や言葉はないし、人は誰でも自分だけの「最高」を自分で見つけ出す必要があるのだと思う。この文章を読んでいる貴方の「最高」は何だろうか?

テーマ : 日記 - ジャンル : 日記

| ホーム |


 BLOG TOP  »NEXT PAGE