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疵痕~花山薫任侠伝~ 45話感想
製作者:リドリー様

 リドリーさんの『疵痕』45話の感想をお送りします。
 ここで物語に一段落着きます。

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疵痕~花山薫任侠伝~ 44話後編感想
製作者:リドリー様

 リドリーさんの『疵痕』44話後編の感想をお送りします。
 いよいよノエマセとの決着の時が。

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疵痕~花山薫任侠伝~ 44話感想
製作者:リドリー様

 リドリーさんの『疵痕』44話の感想をお送りします。
 雪華さーん!

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テーマ : フリーゲーム - ジャンル : ゲーム

 文章や小説を、誰でも見られるように発表するときは、それが誰かを傷つける可能性があることを覚悟しなくてはならない。僕もいくつかシナリオや文章を書いてきたが、自分の未熟や勝手な思い込みによって、誰かを傷つけていたかも知れない。では、その事実をどうすればよいのだろう? 僕がその相手に謝罪しても、相手が受けた悪印象が相殺されるわけではない。また、直接抗議に来ることもないかも知れない。知らず知らずのうちに誰かを傷つけているかも知れないと考えるのは、とても恐ろしいことだ。
 けれど僕は、創作をやめることはできない。それは、魚に泳ぐなと言うようなものである。結局僕は、自分を表現せずにはいられない人間なのである――いや、きっと人間は誰でも、何らかの形で、自分を表現して生きているのだと思う。
 だから僕は、その業を背負って生きようと思う。だから同時に、他の人にも、一言苦言を呈したいとも思う――僕自身もまた、他人の発言に対して不満を覚えたこともあるのだ――それが誰かとは、もちろん言いはしないが。
 「作るのは勝手だが、自重するように」という言葉が発せられるのを見たことがある。「勝手」! こんな強烈な言葉を平然と発する人がいることに、僕は戦慄を覚えた。彼は悪い人間ではないかも知れない。けれど、人を傷つけるのに無自覚な人間だと思う。言われた相手は平謝りしていたが、その内心はどうだろうか。勝手という言葉を使った彼は、それによって鬱憤を晴らしたかも知れないが、言われた相手は鬱憤がたまっているとは思わなかったのだろうか? むしろ、その相手が鬱憤をためることを、彼は望んだのだろうか? だとすれば、それは憎しみでしかないだろう。
 僕の作品のミスに対して「あまりにもお粗末すぎる」というコトバが使われたこともあった。別に間違ってはいないと思う――僕の作品はミスだらけでお粗末だろうから。けれど、その「お粗末」という言葉を、相手に見えるように使うということは、それ自体が宣戦布告であることを、彼は承知していたのだろうか。実際、彼は評判が悪いのである。
 この文章を、彼らが見ることはないだろう――だからこれは、韓非子の言うところの「孤憤」、孤独な憤りである。それも韓非子のように万人に知られる怒りではなく、誰も見ないようなブログでひっそりとつぶやく怒りである。ただ、これが誰かの目に触れることがあるならば、世の中にそういうことを言った人間がいたということ、そして僕がそれに対して、――かれこれ1,2年は経つだろうか――それだけの時間、不満と鬱憤を抱き続けたということを伝達したいのである。日記帳では駄目だ。僕の愚痴に付き合わされる読者には迷惑な話だろうが、それでも一応、人目に触れる文章として、ただの愚痴ではなく、外部の誰かの非を鳴らす公の批判として書いたつもりだ。
 人を攻撃するということは、自分も憎しみを買い、攻撃し返されるということに、どれだけの人が気付いているのだろう? 僕の言ったことに「わけがわからない」「それは暴論だ」と言った人間もいたが、僕は1年以上経った今でも彼を許してはいない。また彼はきっと、これを見ることも、自分の非を認めることもないだろう――それが現実世界というものである。とはいえ、知人なり通りすがりなりに、この文章が眼に触れることはあるだろう。ゆえに、そういう発言があったこと、それに対して僕が怒りを抱いたことを、僕一人の体内に封じておかずに、明かしてはおきたいと思う。

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 僕のHPにシナリオも寄稿してくれているalw氏とはもう長いつきあいになる。彼のアドバイスや感想はいつも非常に的確で、それがなかったら僕のシナリオは大幅に質量ともに落ちていたことだろう。彼には、いくら感謝してもし足りない。
 そんな彼の感想で印象的だったのが、SRC学園シナリオの『姫士組十代目』の5章の後半部分に関することだった。ここで僕は、R女学園の自警団・姫士組のリーダー加茂川瀬里奈がチームに潜む海外の悪の組織のスパイをあぶり出してつるし上げる場面を描いたのだが、その時に隊士たちが一斉に「害・即・滅」という姫士組の理念を叫ぶシーンが恐ろしげであったと、alw氏はいっていたのである。
 この、姫士組の設定者である凪波氏の作った「害・即・滅」が、というより、この理念――イデオロギーというものそのものが、本質的に不気味さをはらんでいるのだ。そしてalw氏は非常に敏感な感性の持ち主であるため、その不気味さを、いち早く感じ取ってくれたのだ。作者である僕自身がなにげなく書き流して(もちろん、理念が瀬里奈によって悪用された場合の恐ろしさを描いたつもりではあるのだが)いたところで、その不気味さを感じてくれたのは、非常に興味深いことだった。
 実際のところ、どんな崇高な理念や偶像も――いや、崇高であればあるほど、それはときに人を、ことに大衆を狂わせ、血の生贄を要求せずにはおれないものだ。近現代史をひもとけば、そのような例は枚挙にいとまがない――あえて具体的にどれがどうと挙げることは、話の本筋とは関係ないので差し控えるのだが。
 ここでマイキャラおよびSRC学園の説明を加えると、加茂川瀬里奈というキャラは優れた指導力と戦闘能力を持ちながら、内心に破滅願望や破壊衝動を抱いている危険人物で、表面的には優しい人格者を装っている。姫士組は、クルセイド学園騎士団や聖乙女学園警備隊といった他の学校の自警団に比べると攻撃的な体質を持つ治安維持組織という設定である。これまで、姫士組の暴走を描いたSRC学園作品はなかったので、その意味で、――つるし上げられているのが、的確に全員敵のスパイだったとはいえ――集団が血に狂う描写に姫士組を用いたのは、拙作が嚆矢ということになるのであろうか。シェアワールドである以上一言弁明を添えておくならば、「理念を持った攻撃的な組織」という設定は、こうしたタイプの、悪役とも違う、危険な雰囲気を漂わせる可能性も持っているということを、僕が思いついて描写したくなったまでで、他意はない。
 僕は率直にいって、ややおめでたい思考の持ち主だ。ヒトラーや毛沢東のような、魅力的な独裁者が出てきたら、わりとあっさりと騙されて旗振りに回ってしまうタイプではないかと、自分のことを認識している。その一方でalw氏は、そうした魅力的な独裁者のような者たちの本質的なうさんくささに非常に敏感で、彼をだますのは難しいと思うのである。それは、氏の作品の綿密かつ良心的な構成からも読み取れると思うのである。僕の作品は、ともすれば勇み足になりがちだ。
 人は欲望のためや怨恨などの感情のために人を殺すこともある。けれどまた、正義のために人を殺すことも、人にはあるのだ。正義とはイデオロギーであり理念である。怨恨でも物取りでもないもののために、人が人を殺す――それも大勢が「正しいこと」と思いながらである。日頃は善良な人々が不良やギャングより残酷に人をつるし上げ、リンチにかけて殺してしまうのだ。怨恨や物取りの殺人の場合、それが「正しい」とは思わない。けれど、正義のための殺しは、それが正しいと思ってしまうのだ。正しいと思って人を殺す。これほど恐ろしく、かつ不気味なことはないだろう。以前、『銀河英雄伝説』で「民主主義に乾杯!」という言葉を遺言に戦死した将軍がいたのを見て、ふと不気味さを感じて、その正体がわからずにいたことがあったが、今にして思えば、その時の僕は、民主主義という、欠点も問題点もあるシステムを神格化してそれのために死ぬことに不気味さを感じていたのだろう。

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自作SRCシナリオを更新いたしました。

姫一文字の守り神

『姫一文字の守り神』6章を公開しました。

悠良の前に現われたパルマの口から、
全ての黒幕の存在が明かされる。
そして姫士たちは決戦の舞台へ。
姫一文字の守り神、堂々の終幕!

楽しんでいただければ幸いです。
バグなどのご連絡は、掲示板やメールなどからお願いします。

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 僕はよくライトノベルを読む。ひいきの作家も何人かいるが、これがなかなか難しい。なにが難しいかといって、ある作品はすごく名作だと思い、ツボにはまり、「一生ついていきます○○先生!」と思ったりするのだが、その人の次回作を読んでみたら、ものすごく残念な出来だったりする。しかも、困ったことに、わりとそういうことがよくある。
 実際に、わからなくはない。僕もいちおう文章を書く趣味があるので(まだお金になったことはないから、しょせんはあくまで「趣味」なのである)、創作の難しさはわかるつもりだ。最初の一つの代表作に全力投球して、そこで言いたいことを言い切ってしまうと、それで油気が抜けてしまい、次は駄作しか作れないというのはよくあると思う。安定してハイクオリティーな作品をいくつも出している、川上稔氏や高橋留美子氏などは、やはり稀有な例外なのだと思う。
 要するに、できればその人の次の傑作を楽しみたいところでも、それが難しいことだとはわかっておいた方がいいのだと思う。次の作品が気に入らなくても、「ああ、もう力尽きたか、もしくは作風が変わったのか……」と思い、黙って離れればそれでいいのではないか。少なくとも新作が微妙だからといって、最初に愛した作品が色あせるわけではないのだ。名作は何度読んでも名作である。作家人生でたった一作だけ名作をリリースして消えていった作家など、歴史上にはいくらでもいるではないか。
 ……などと長々と語ってみたのも結局のところ、僕自身がその新作でガッカリしたのを納得させるためという、きわめて私的な理由によるのだが。きっと世の中、僕よりもっと貪欲で容赦ない客=読者はいくらでもいるのだろう。作家も大変そうだ。僕などのように、気が向いた時にしか文章を書けないような奴は、職業作家には向かないかも知れないなあ……うーむ。ともあれ某先生の新作は残念ながら気に入らなかったが、前作と処女作は非常によかったし、今でも先生から楽しませてもらった恩は忘れられない。新作の方も、読まないかも知れないが頑張ってもらいたいと思う。

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 『ダイの大冒険』の敵キャラのザボエラは、いわゆる下衆のレッテルを貼られている。卑劣かつ臆病で、作中の敵からも味方からも軽蔑される、上にへつらい下に威張る小物――。そんな人物像として作中で扱われ、一般にもそう認知されていると思う。しかし僕は、このザボエラは、決していわゆる、ただの小物ではないと思う。もちろん悪人だが、しかし無能ではないし、一人の人間(モンスターだが)としても一途に生き抜いた、人生の戦士ではないだろうか。ここではザボエラのいいところを考察してみたい。

 ポップたちがダイを探しに来たとき。このとき、戦力の揃わないポップたちを、手勢を率いて襲ったザボエラの判断は実に正しく、別に卑怯でも何でもない。手薄な敵を叩くなど戦争の基本中の基本であろう。しかもダイを復活させられる危険があるとなれば、二重の意味で叩く意味がある。そのままならポップたちを討ち取り、手柄を上げられたザボエラだったが、不運にも騎士道を重んじるヒムたちに邪魔され、逃げ帰ることになってしまう。この時のヒムたちは堂々としてるように見えるが、これはもはや利的行為と言って良いし、バーンがなぜヒムたちを処罰しなかったかが謎なほどである。そして、騎士道に迷って味方の足を引っ張るような味方に襲われたザボエラは、不運と言うほかはない。

 バーンとハドラーの対決で。ここでハドラーは、ダイとの戦いで消耗したバーンに挑み、あと一歩で勝ちそうになった。しかしザボエラの魔法により束縛され、逆にとどめを刺されそうになる。これを見て少年の読者たちはザボエラに憤慨したことだろう。そして後のミストバーンの「おまえのようなカスにハドラーを卑下する資格はない」という言葉に共感したはずだ。
 しかしザボエラは、もとよりハドラーとは何の信頼関係もないのだ。そして態度に嫌悪感を向けられているだけで、していることは特におかしくはない。ハドラーの黒の結晶を放置したことも、総帥であるバーンへの忠義と考えれば、むしろミストバーンの行動原理と全く同じとすらいえる。その意味では、実は美学にこだわってザボエラを憎んだミストバーンは、若干矛盾をきたしているともいえる。ザボエラが強いものにへつらい、状況次第ではバーンすら切り捨てるのは、力こそ正義という魔界では、むしろ非常に正しいだろう。「強者とは戦闘力の強い者ではなく、最後まで残った者だ」というザボエラの言葉も、やはり正しいのである。

 クロコダインとヒュンケルの処刑場での戦いで。ここではザボエラは魔界の軍勢を光の軍勢にけしかけ、勝率は高いと判断したが、結果として自軍は倒され、ミストバーンに見捨てられて奥の手の超魔ゾンビを出さざるを得なくなった。ここでは、ヒュンケルが覚醒したことが計算違いで、この時点でザボエラの武運にはケチがついていたといえる。その後の展開としては、魔界の軍勢は個々の兵隊の戦力は強いが、集団戦の結束力が低いため、ダイやポップといった主戦力ぬきの光の軍勢に遅れをとった。この点を見抜けなかったのは、ザボエラの判断ミスといえるだろう。別にザボエラが悪党だから負けたわけではない。
 超魔ゾンビを出してから負けた展開は単純で、奇跡の要素は何もない。光の軍勢に超魔ゾンビに対抗できる存在はいないが、ロン・ベルクは超魔ゾンビを一撃で破壊できる星皇剣という切り札を隠し持っていた。だから負けた。たとえばここで、ロン・ベルクがミストバーンを追ってその場から消えていれば、あとはザボエラの勝ちだったはずだ。こんな切り札を相手が持っていることは、さすがに計算しきれないから、これはザボエラの不運と言うほかはないだろう。

 そしてザボエラ最期の場面。切り札を破られ、逃げる余力も失って絶体絶命のザボエラは、ついにクロコダインに発見され、彼をだまし討ちにすることを試みるが失敗して、殺されてしまう。このときクロコダインがためらいなくザボエラを撃ったのは、騎士道という名の甘さに支配された光の軍勢には珍しく、堂々とした判断だったと思う。ザボエラの最大の武器は魔力でも道具でもなくその知恵と、そして不屈の闘志(散々迷ってばかりのヒュンケルなどよりも、ザボエラの方がよほど闘志の象徴にふさわしいといえよう)であり、事実彼は最後の最後まであきらめないで、体内の毒素という武器を使って状況を打開しようとした。知恵と根性の戦士として有名なジョセフ・ジョースターですら、ザボエラには一歩を譲るのではないだろうか? この最後の場面を、正義や道徳のフィルターをはずして考察すれば、ザボエラの敗因は、クロコダインの知恵を甘く見ていたということになるだろう。クロコダインはパワーファイターで騎士道精神の強い武人ということで、単純で頭の悪い男とみられがちだが、実際には彼は決して頭は悪くない。ポップを追うキルバーンを前にして、迷わず目くらましを使って逃げたことからも、それはうかがえる。最初は何度もザボエラに利用されたが、しかしその経験はクロコダインに「ザボエラは油断ならない」という認識をしっかり植え付けた。一方ザボエラは、クロコダインを何度も利用できた経験から、今度も利用できると思いこんでしまい、逆にクロコダインに騙されてしまった。この点を読み違えたのがザボエラの死因だろう。頭の良い人間にありがちな、単純な人間を見下す悪癖からザボエラも逃げられなかったのだ。クロコダインがもう自分に騙されなくなっていると理解していれば、後はもう全面降伏しか手はないと理解できていたはず。超魔ゾンビで光の軍勢に損害を与えた後だから、ミストバーンに見捨てられた直後より処遇は悪くなるだろうが、甘い光の軍勢のことだから、処刑は免れる可能性もあったのである。もっともこの時点では、バーンが最終的にダイを破り人間を滅ぼした可能性のほうが高かったのだから、そうなればザボエラに逃げ場はないわけで、最後まで自力で生き延びようとしたザボエラの判断も、それはそれで間違ってはいないのだが。また、こうして公平に考えてみると、ザボエラもまたギリギリの綱渡りを続けながらも、フレイザードのようにあっさり脱落することもなかく物語終盤まで生きられたのだから、やはり彼は強い男だと言うことはできると思う。

抜け目がなく、向上心も強いザボエラの弱点は、卑怯なことではなく、基本的に運の悪い男だと言うことができるだろう。

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