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破竹の逃走劇 感想
製作者:十三階段様

 十三階段さんの『破竹の逃走劇』の感想をお送りします。

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テーマ : フリーゲーム - ジャンル : ゲーム

 或真魂継は祇園会の顧問であり、28歳である。ここだけでも、色々な要素を読みとることができる。
 
 まず、個人生徒会の顧問というのは通常、部活の顧問がそうであるように、生徒会の活動には直接関わることは少ないものだ。顧問が試合に出ることはない。クルセイド学園騎士団や姫士組ネオユニバースなどでは、顧問はあくまで学校からの監督役程度だと見られると思う。個人生徒会はその名の通り、生徒がやるものであって顧問教師は見守る役目だからだ。
 しかし、祇園会の顧問となると話が違ってくる。祇園会は、三学園に対して「反乱」を起こし、個人生徒会登録を抹消されているチームだからだ。それに従い、治安維持生徒会、つまり学園の警察組織と交戦した魂継も、教員資格を停止され、クルセイド学園をクビになっている。ゆえに、称号は顧問だが、祇園会においては碁藤ナガラの「代表補佐」とほぼ同様の、一歩離れて見守る監督役ではなく実際にメンバーをまとめて活動する立場だと推測できる。
 28歳という年齢は、五年前の騎士団の総代騎士だった源氏政行の3歳年上であり、姫士組の初代姫長の兵柳泉悠良よりは、5、6歳年下である。3年前、祇園会事件勃発時に代表の赤威水星が18歳だとして、25歳。教員としては若年で、大学院生として在籍していれば最年長といった年齢だ。もう少し年代の話をしよう。学園風紀騎士隊の年齢はだいたい45~48歳。最高で30歳程度の子供がいる年代で、完全に「大人」といえるが、魂継はギリギリで「まだ子供のグループ」だと判断できないこともない。そこも、魂継が「個人生徒会の一員」だと考えられる要因といえそうだ。
 今でこそ祇園イズムを貫徹する者、一般人を嫌悪している者が祇園会に登録されているが、魂継がいた初期の祇園会は、実は祇園会であり続けた会員は意外と少なかった。碁藤ナガラは囚われたあと無気力状態になったし、刹那丈太郎も名を変えて祇園会と縁を切っている。鶴我京一郎や春日居小宵のように錯乱した人間も多い。筆者などはその現状に一石を投じてみようとして虎崎王華や槍崎昭人などを登録してみたのだが、最初期からエギーユ・デラーズのように祇園イズムを貫き続けていたのは、やはり或真魂継なのだ。そして、代表補佐の碁藤ナガラは無気力状態になっているのに対して、或真魂継は現役で祇園会をやり続けている。
 
 これらのことから、魂継は3年前から現在まで一貫して祇園会でも重要な人物であり、また他の幹部に比べて安定感の高い幹部だということがわかる。人間的にも、包容力と厳しさを併せ持ち、判断力や生活力など各種スペックも高い。戦闘能力も祇園会では一、二を争う高さだが、その強さも実質的な代表としての彼の存在に説得力を持たせる材料となっている。祇園会という一生徒会が3年前に学園の全生徒会を敵に回して戦ったというが、それができた背景には、碁藤ナガラ、草薙真、西東清高、守谷羽仁丸といった人材層の厚さもさりながら、魂継の存在が大きかったと言えるだろう。性格も頭も良くて腕も立つという、二物も三物も与えられたチートスペックな男であるが、彼の存在は祇園会事件のリアリティを持たせるためにはピッタリだったのだ。実際、代表の赤威水星も魂継の存在があったからこそ決起に踏み切ったのではないかとも思う。
 
 では、そうした年齢やスペックとは別に、魂継という人間の性格はどうだろう。
 
 それについては、その知能や戦闘力の高さとは裏腹に、案外に穏やかな人間だと思う。彼は瀬名貞仁のように過激な思想を持つわけでも、阿里美優のように狂気に走ったわけでもなく、ただ淡々と祇園会の残党をまとめている。対メッセを見ても、非道な者に怒りをあらわにすることもあるが、基本的に言うことがそんなに過激ではなく、まっとうな戦士という印象だ。だから、さぞ人望があるだろうと察せられるが、では彼はなぜ祇園イズムを掲げ続けているのだろうか。
 
 紹介文には「本人ももう赤威水星は戻って来ないのだと言う事を理解していないわけではないが、祇園イズム成就の為に戦い、送った激動の時代を引き摺っており、今更後にやめる気は無いようだ」とある。ここからは、魂継自身の未練によって祇園イズムを続けていることがわかるが、同時に筆者は、それだけではないと考える。同志たちへの面倒見の良さや視線の温かさから考えるに、組織も指導者も失い、それでも社会に復帰できなかったり、復帰したくなかったりする同志たちの面倒を見なければならないと思っているのではないか。ひいては、祇園会事件から3年経ってなお解決していない能力者問題のためにも、祇園イズムをやめるわけにはいかないと思うのでは。実際、「能力に目覚めたために親に捨てられた」というような生徒は数多く、祇園イズムも必ずしも全部間違っているとは限らないのだ。非能力者によって嫌悪され排斥された能力者たちのよりどころとして、「彼らが自分たちを排除するのは、より優れた存在である自分たちを恐れているからだ」と唱え、能力者に自信を与えるとともに団結の柱とするのは、必ずしも不合理ではない。そもそも現実の世界を見ても民族問題などが山積みになっている人間の世界で、能力者などというものがいれば排除されるのは当たり前であり、ならば祇園イズムぐらい過激な思想がちょうどいいということはありえる。魂継も、おそらくそう思ったのではないか。
 
 そして、経験豊富であるとともにまだ三十路前で十分若い魂継は、「もう赤威水星は戻って来ないのだと言う事を理解していないわけではない」とあることで、場合によっては自分が水星の後を継いで代表として立つこともありえると思っているのでは。基本的に穏健な人物である魂継は、それをやれば戦争が起きるわけだから自発的にやることは決してないだろうが、もしも能力者たちが追い詰められ、世間が祇園イズムを必要とする事態になれば、祇園会代表という貧乏クジを自ら引こうと考えていることは十分ありえる。野心や覇気に満ちたタイプではないが優しさと漢気にあふれ、自らの身を捨ててでも能力者たちのために戦う良い兄貴、それが或真魂継の人物像なのだと思う。

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