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走馬灯戦記 8話感想
製作者:もぐら様

 もぐらさんの『走馬灯戦記』8話の感想をお送りします。
 執筆は快調のようで何よりです。

 色々な意味でビンッビンに張り詰めていた7章と違い、今回は全体的に明るい話でした。
 そして、そのことの意味の大きさを僕は、噛みしめています。
 なぜって、『蜃気楼』ぐらいまでのもぐらさんは、裏に暗いものを秘めない日常というものが、基本的に書けない人でしたから。
 
 日常はあまりにたやすく壊れる。人はあまりにたやすく死ぬ。
 いい雰囲気の集まりで、一人が怒声を張り上げ、一人が泣き崩れる、それだけで、場はあっさりと暗くなってしまう。
 それほどまでに、愛はもろく、死は強大です。
 
 では、人は愛をあきらめなくてはならないのでしょうか?
 
 もし本当にそうだとしたら、とうの昔に、人の世から「愛」という概念は失われている。幼少時のアシュラマンの両親のように、どれだけ悪くなれるかを子供に教育するような、そんな世界になっているはずです。でも、そうはならなかった。
 
 結局、どんなに愛が弱かろうと、どんなに現実が過酷だろうと、それでも愛を、正義を諦めきれないのが人間というものなのだと思います。
 武藤カズキは手を血に染めたことで忌むべき邪悪になり果てたか? 否ですね。たとえば歴史上の関羽は幾千幾万の血でその手を汚しましたが、彼は悪鬼の化身とされているでしょうか。否ですね。彼は武神・関聖帝君として、人々の愛と尊崇を集めています。
 
 今回の話で、光は天に対して、林家の死を背負うと明言しています。そして、たとえ手を血に染めたとしても笑っていられると。
 
 きぇさんの『BraveEdge』の主人公・高峰早紀は光同様、真面目で明るくて熱い女の子でした。彼女もまた、剣鬼と化したナギベドの命をその手で背負うことになりましたが、それは彼女を腐らせたかというとそうではなく、むしろ何倍にも彼女を成長させました。人の命をその手で奪うことは、決してそれ自体が悪ではないんです。先日、森鴎外の『高瀬舟』などを読みましたが、その時もそう感じました。同じ殺人でも、私利私欲のために罪なき者を殺すことと、大事な人を守るために邪悪な敵を殺すことや、自らを殺してくれと懇願する相手に情けの一撃を与えることとは、天地ほどの差があります。
 その意味では、『空の境界』の幹也の殺人否定論などは、それこそ愛のない冷たい議論だと思いました。式に守ってもらい、手を汚してもらいながら、「君を許さない」という言葉を言った幹也は、やはり否定さるべきものだと思っています。
 
 今回、真・黒騎兵の前に光をかばって立ったカズキと劉鳳の背の、なんと頼もしいことか。彼らは結局、折れなかったんだなと思いました。カズキも『聖闘士錬金』では、かなり過酷な試練にさらされていましたが、僕の思った通り、太陽をへし折ることはたとえ聖帝にだってできなかったのですね。
 斗貴子さんともパピヨンとも(え)原作通りのラブラブっぷりですし、カズキが「背中に人生を」との問答で仮面ライダーのポーズをとったことは、今にして思うと伊達ではなかった(伊達とは内容のないかっこつけのことですね)のだと思います。僕は、『武装錬金』の作者である和月氏も『るろうに剣心』で正義とは何か、殺人とは何か、贖罪とは何かをずっと真摯に問い続けた作家だと思っていましたが、その氏の到達したのが、『武装錬金』のような、太陽のごとき明るいストーリーだったのです。
 
 カズキがあの場に現れたことで、一気に雰囲気は明るくなりました。まるで曇天の雲間に差し込む太陽の光です。いかに人間が心の闇を捨てられなかろうと、それでも光を求めるのが人間なのだと思います。ちなみに僕の人間観は、終始一貫して、陰陽太極図のごとく、光と闇の相生相剋であるという見方です。誰もが本当は善人だなどとは、あまりに甘すぎる。生まれついてのサイコパスなんていくらでもいます。では人間はしょせんクズしかいないと、そうシニカルに開き直るのも、克己を続けられない人間の怠惰な見方です。人は善と悪の狭間で葛藤せざるをえない。それを見つめられない人間が善だ悪だと言ったところで、そういうのを片手落ちというのだと思います。
 
 前回、もぐらさんは、世紀末救世主が倒れたと言いました。でも見ての通り死んではいません。救世主は、たった一人で戦う必要なんてないんです。皆で手を取り合って苦難に立ち向かう。救世主もまた、仲間たちの一人なのです。そして団結した集団の強さが人間の強さであること、これは紛れもない事実です。人類史もまた、古来そうやって続いてきたのですから。
 
 そして林家のもとに、一通の手紙が。
 どうやら彼女も、自らの運命にケリをつける気のようです。
 林家サーガの終幕も、いよいよ近付いているのでしょうか。どのような結末になろうと、最後の最後まで刮目して見守りたいと思います。
 ただ、林家に関して、一言いうならば。
 たとえ彼が一線どころか二線も十線も越え、黒騎兵の名が聖帝に等しくなったとしても、それでも彼の根底は、無道王や倉脇とは、結局違うと思います。
 そもそもあの聖帝にしてからが、最期は笑顔で死んでいったのです。
 林家が救われることを神がもし許さないというなら。そのふざけた神をぶち殺せばよいと思います。
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コメント

どうも、もぐらです。プレイ、そして感想ありがとうございます。


書いてる方としては未だ苦戦中、勝敗は見えず
みたいな緊迫した感じをイメージしていたのですが
どうやら私の想像すら超えて、武藤カズキは強い漢になってたようで
少しびっくりしています(笑)


ヒーローの殺人について、それを否定すべきは
ヒーロー自身のみだと、私は考えます。
もしもその罪を誰かが法廷で裁こうとしたのなら
多分ヒーロー自身は弁護士呼ばないんじゃないかなぁ、と。
けれどそんな事態になったのなら、誰かがこう叫ぶべきなんですよ。
「国家がやれなかったから彼は戦ったんだ。彼を裁く権利が国家にあるのか」と。
悪の秘密結社なんてものは警察や、軍隊が対応すべきなんです。
でもそれが出来なかった。動けなかったり間に合わなかったり
或いは力が足りなかったり。だからヒーローが戦った。
ヒーローとは義侠的であり、もっと言えば
線路に落ちた人を助け上げるようなものだと思います。
非常手段であり、緊急避難である。
だから私は、ヒーローを職業と捉えることはあまりしません。
じゃあ自衛官や警察官はどうなんだと言われれば
もちろん彼らもヒーロー足り得ます。
ですがそれはそういう職業に就いているからヒーローなのではなく
その個人個人が自衛官や警察官として為すべきことを為した結果
ヒーローとなったと言った方が相応しいでしょう。

心情的な問題を言えば、それこそお決まりの
悲しい構図になってしまうじゃないですか。
みんなを守るために戦ったヒーローが、守ったみんなに石を投げられるという
使い古されたお約束の展開に。そんな人類など滅べばいいと思います(笑)
私は『空の境界』を読んだことはありませんが
その言葉が許されるとすれば、それは
それを言われた人が、自己の殺人を肯定している時のみだと
「許さない」と誰かが言い続けてやらないと、
その人が怪人になってしまう場合のみだと思います。
でなければ、かなり可哀想なことになっているんじゃないかなぁと。
もしもそれが男女逆なら、いい哀しみになって映えるのでしょうが
男が女に言う台詞じゃねーべと(笑)

カズキと劉鳳は、戦士として最も脂の乗った時期を迎えています。
言うなれば、かつてのシュウと戴宗のようなもので
そら頼もしくもあるわな、と。
それでも、時の流れと戦士としての成長に伴い
その手は敵の血で汚れ、守りたかった人も守れないでしまった
かつてのような眩いばかりの光は多少の陰りを見せ
さながら夕焼けのようなサンライトハート…
みたいなことを考えてタイトルを付けたのですが
思った以上に夕焼けは眩しかったようで(笑)


では、失礼します。プレイありがとうございました。

こんにちは! philoです。
書き込みありがとうございます。そして感動をありがとう。

林家が天に一度敗北→怨念パワーで復活→カズキが到着して押し返す、
という流れはバランスがよいと思います。
個人的には彼は、林家の背負った絶望と悲嘆にも敗れることはない
だけの強さがあると思います。

ヒーローの殺人に関して、一つ言えるのは、
やった当人は自責するのは大事ですが、
守られた側が責めるのは、どの口がって感じですよね。
実際、警察や軍隊は職業として敵と戦ったり殺したりしていますが、
クラーク・ケントは本業は新聞記者ですしね。
本来なら戦いは軍人がやるものですが、
犯罪者はむしろ警察のいない場所を狙ってきている。
なら、魚屋や医者が家族を守るために警察代わりになるしか
ない時だってあるでしょう。

ヒーローに石を投げる民衆というのもおきまりのパターンですが、
それが許されるのは最初の1回ぐらいまでかな~と(笑)。
あんまりそういうのばかり描写してると、
読者も「人間ナメすぎだ」と思ってイライラしてくると僕は思います。
武装錬金でも5巻で銀成学園のみんながカズキに声援を送ってましたし。
空の境界の幹也はまあ、もぐらさんが指摘した通り、
許さないと言うことが式の救いだからという構図ではあるでしょうね。
さすがもぐらさん、いい読みしてます。
ただ、式が人を殺すことになったきっかけは
幹也が「殺人は悪だ」と語ったことですし、
上記を踏まえても「守られた男が言うことか」と思われるのは仕方ないと思いますし。
リドリーさんも幹也は嫌いと言ってましたが、
まあ空の境界自体きのこ氏の処女作で、
まだ黒歴史ノートに毛の生えたようなものだから仕方ないという話でした(笑)。

カズキと劉鳳は、まさに今が戦士として最盛期、
そして人の上に立つ指導者として新人ぐらいの頃合いだから、
正直これからもグングン伸びていくと思います。
ふたりが40歳ぐらいになったら、
それこそ世界の命運を左右するリーダーになりそうです。
だから僕は、二人がもぐらさんの想定以上に眩しいことには、
何の疑問も持っていません(笑)。
よい意味で、キャラは作者を裏切るものだと思います。
敵の血で汚れ、守りたいものを守れなかっただけで
光が陰るのだとしたら、前を向いている戦士なんかいなくなってしまいます。
傷つき、汚れ、喪失しても、それでもなお立って歩ける。
それが人間の強さなんだと思います。
その意味ではカズキたち同様、もぐらさん自身も
戦士の意味を深く体得しつつあるのだろうな~と感じますね。

それではまた。
次回も楽しみにしております。

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